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         このページではちょっと感動するエッセイを皆様にお届けします。 お仕事で疲れたときや、ちょっとした暇つぶしに
  お越しいただければ幸いです。 すこしづづですが、作品も増やして行きたいと思っております・・・
  また、素晴らしいエッセイをお持ちのお客様は、メールでお送りいただければUPさせて頂きたく存じます。

 


心のリボン (作者不詳)
 
 



 私が初めて校長になったのは、五二歳の時で、ある農村地域の小学校でした。
初めての校長は大変緊張します。
失敗があってはいけないと考えて、挨拶はどんな小さいものでも原稿を書きました。
校長になってから二ヶ月たったとき、春の運動会がありました。
運動会で校長は開会の挨拶と閉会の挨拶をします。
両方とも原稿を書いて覚えました。
開会の挨拶の方は原稿どうりにやって運動会がスタートしました。

 一日中にぎやかに運動会が行われ、午後三時頃閉会式になりました。
わたしはこれも原稿どうりに話そうと、台の上に上がりました。
台の上から子供たちを見渡しますと、子供の胸につけられているリボンが目に付きました。
このリボンは走って賞に入った人がもらうもので、一等は青色、二等は黄色、三等は赤色の
リボンです。
子供たちは一人三回競争に参加しましたので多い子は三つのリボンをもらって胸につけて
います。
そのほか二つのリボンを胸につけている子、一つのリボンをつけている子もいます。
しかし中にはリボンを一つもつけていない子もいることに気づきました。
そこで、原稿を書いて覚えてきた挨拶をやめて、こう言いました。

  「リボンを三つ、胸につけている人、手を上げなさい。
  はい、手を下ろしてこの人たちは大変がんばった人です。
  その場にしゃがみなさい。 
  次に、リボンを二つつけている人、手を上げなさい。
  はい、手を下ろして。
  この人たちは次にがんばった人たちです。しゃがみなさい。」 

あとで聞くと、ここで父兄の方々が心配したそうです。
こうしていくと、リボンのない子だけが残るからです。 
私は続けました。

  「次にリボンを一つつけている人、手を上げなさい。
  はい、下ろして。この人たちもがんばりました。
  しゃがみなさい。」

これで、リボンをつけている子は全部しゃがみました。
立っているのは、リボンのない子でした。 
私は言いました。

  「今残った人は一生懸命やったけど、もうちょっとのところでリボンがもらえなかった人たち
  ですね。
  がんばったことを褒めて校長先生が心のリボンをあげます。
  さあ、空中で受け取って、胸につけて下さい。」 

そう言うと私は、みんなの方にリボンを投げるまねをしました。 
立っている子たちは、空中でそれを受け取るまねをして、胸につけました。 
父兄の席から拍手がおきました。


  

 


明日を信じて (作者不詳)



輝かしい未来とは、
夢の持つ素晴らしさを
信じるものたち
だけのものです。
(エレノア・ルーズベルト)

〝ゴールをしっかり見つめて〟

 フローレンス・チャドウィックには、濃くたちこめた霧しか見えなかった。
身体はすっかり冷えて感覚を失っている。
泳ぎだしてから、もう十六時間近く経っているのだった。
フローレンスは、既にイギリス海峡を両岸から泳ぎ切った世界で最初の女性としての
記録をもっていた。

34歳になった今、彼女の目標は、キャタリーナ島からカリフォルニア州沿岸までを泳いで
渡る世界で最初の女性になることだった。

1952年7月4日の朝、海は氷を入れた風呂のように冷たく、伴走するボートさえ見えないほど
濃い霧がかかっていた。
彼女がひとりでいるのを見て鮫が近づいたが、ライフルで追い散らされた。

フローレンスは凍てつく海で必死に何時間も闘った。その様子は全国テレビ中継を通して、
何百万人もの人々が見守っていた。
母親とトレーナーは伴走するボートに乗り込んで、フローレンスを励まし続けた。

だが、「対岸までもうすぐだ!」と言われても、濃い霧が行く手をさえぎり、彼女には一寸先も
見えない。
ボートからは、繰り返し「あきらめるな!」という声がかけられる。
そのときまではフローレンスは、一度やり始めたことを途中であきらめたことはなかった。
しかし、あとわずか半マイルというところに来ていながら、ボートに引き上げられたのだった。

それから数時間後、記者会見に応じるフローレンスの身体はまだ冷え切っていた。
「言い訳するつもりはありませんが、対岸が見えてさえいたら、
泳ぎきることができたかもしれません。」

途中でくじけた理由は、疲労でも、あの凍てつくような海の冷たさでもなかった。
それは、対岸というゴールが見えなかったということに他ならない。

それから二か月がたち、フローレンスは再び挑戦した。
今度も前回と同じく濃い霧が出ていたが、彼女は確固とした信念を持ち、
心の中にはっきりとゴールを描いて泳いだ。
あの霧の向こうには必ず陸があることを、かたく信じていたのだ。

そしてとうとう、今度はやり遂げた!
フローレンス・チャドウィックは、キャタリーナ海峡を泳いで渡った世界初の女性と
なったばかりでなく、男性が持つ記録をなんと二時間も縮めたのだった。


愛知県西春日井郡とよなり小学校
6年2組     鈴木 一朗



  僕の夢は一流のプロ野球選手になることです。

 そのためには、中学・高校と全国大会に出て活躍しなければなりません。
 活躍できるようになるためには、練習が必要です。
 僕は3歳の時から練習を始めています。
 3歳から7歳までは半年くらいやっていましたが、3年生の時から今までは、
 365日中360日はきびしい練習をやっています。
 だから、1週間の中で友達と遊べる時間は5~6時間です。
 そんなに練習をやっているのだから、必ずプロ野球の選手になれると思います。
 そして、中学・高校と活躍して、高校を卒業してからプロに入団するつもりです。
 そして、その球団は中日ドラゴンズか、西武ライオンズです。
 ドラフト入団で、契約金は1億円以上が目標です。
  
  僕が自信のあるのは、投手か打撃です。
 去年の夏、僕たちは全国大会に行きました。
 そして、ほとんどの投手を見てきましたが、自分が大会ナンバーワン選手と確信でき、
 打撃では県大会4試合の内ホームランを3本打ちました。
 そして、全体を通した打率は5割8分3厘でした。
 このように自分でも納得のいく成績でした。
 そして、僕たちは1年間負け知らずで野球ができました。
 だから、この調子でこれからもがんばります。
 そして、僕が一流の選手になって試合に出られるようになったら、
 お世話になった人に招待券を配って、応援してもらうのも夢の一つです。
  
  とにかく、一番大きな夢は、プロ野球選手になることです。

                            


将の器 参謀の器

竜 門  冬 二



 木下藤吉郎が織田信長の部下になってからまもなく、台風がこの地方を襲って、
信長が拠点としていた清洲城の塀が大破した。
「信秀のあとの信長を滅ぼして、尾張国を自分のものにしよう。」と、虎視眈々と狙う大名が
たくさんいた。

そんな時に肝心の拠点の城の塀が崩れてしまったのである。
危機を感じた信長はすぐに工事奉行を呼んで、「すぐ塀を直せ!」と命じた。
奉行はかしこまって仕事にかかった。しかし、幾日経っても塀は直らない。
信長は苛立った。
奉行を呼んで「一体何をやっているのだ? 塀がちっとも直らないではないか!」と叱った。
奉行は「労働者が言うことを聞きません。台風の後なので、どさくさ紛れに賃上げを
要求しているのです。」と言った。
信長は「そんなことをいちいち俺に弁解するな! 
そういうことを処理するのもおまえの仕事だろう。」と言ったが、
奉行はふくれっ面をして横を向いた。

怒った信長は工事奉行をクビにし、木下藤吉郎を奉行に任命した。
藤吉郎は「かしこまりました。」と言ってこの仕事を請け負った。  
クビになった工事奉行は藤吉郎に嫌みを言った。
「新参のおまえにできるはずがない。」
「そうかもしれません。」
藤吉郎は逆らいもしないで、ニッコリ笑って応じた。

藤吉郎は現場に行った。
そして、自分の眼で塀の壊れた箇所を調べた。やがて工事に従事する労働者たちを呼んだ。
約百人いた。

藤吉郎はこんなことを言った。

   「新しい塀の修理を命ぜられた奉行の木下だ。
   しかし、俺は全くの素人で、こういう仕事のことはわからない。
   全部おまえたちに任せたい。ただ、同じ任せるにしても手順だけを決めておこう。
   今塀の壊れたところを見てきたが、壊れ方はだいたいどこも同じで、ある箇所が酷く、
   ある箇所が軽微だったということはない。

   そこで破損個所を十箇所に分ける。それを修理するために、おまえたちを十組に分ける。
   一組ずつ一箇所を担当して修理してもらいたい。
   誰がどの組にいくかだとかいうこともあるだろう。
   そこで誰がどの組に行くかは、おまえたちで相談しろ。

   今この塀を早く直さないと、敵が攻め込んでくる。
   俺たちは男だから武器を取って戦うが、女・子供はそうはいかない。
   城の中で一緒に暮らしている女・子供は、もし俺たちが負けてしまえば、
   敵の奴隷になったり、殺されたりしてしまう。
   特に女は全部敵の『慰みモノ』になる。
   おまえたちは自分の女房がそんな目にあっても平気か?
   子供が奴隷になっても平気か?
   そういうことを考えると、この塀の修理は一日たりともないがしろにはできない!
   いいな。もう一度繰り返す。自分たちで気の合う仲間で一組をつくり、
   その組が一箇所ずつ修理箇所を選んで工事に励め。

   おまえたちはこの塀の修理をする目的を、信長様だけのためだと
   思っていたのかもしれないが、決してそれだけではないぞ。
   おまえたちの家族にも関わりがあるのだ。
   この辺をよく頭にしみこませろ。いいな。」

話し終わった藤吉郎は、「俺がこれ以上口を出すと、おまえたちの仕事がやり難かろう。
誰がどの組にはいるか、どこの箇所を担当するか決まったら、報告に来い。」
そういうとサッサとその場から立ち去った。

労働者たちは相談した。労働者たちの中にもリーダー格がいる。
そのリーダーたちを中心に、誰と誰が組になるか、
そしてどこの修理箇所を受け持つかについて話し合った。
しかし、こんなことはいくら話し合っても埒はあかない。
人間の好き嫌いは理屈だけではどうにもならないからだ。
結局、「くじ引きにしよう」と言うことになった。
中には気の合わない者同士がいっしょになった組もある。
が、くじ引きは公平だ。文句
は言えない。
「おまえは気にくわないけれど、まぁいっしょにやるか。」ということになった。
藤吉郎の狙いは的中した。チームワークの誕生である。
そして、工事箇所もくじ引きで決めることにした。それを藤吉郎のところへ報告に行くと、
藤吉郎は、「わかった。よくやってくれた。うれしいぞ。
一番最初に自分の受け持った工事箇所を修理した組には、
俺が信長様から褒美
をもらってやる。」と言った。

藤吉郎にすれば、ここが勝負どころだった。
というのは、前の奉行は労働者たちに賃金値上げを要求され、
うまくいかなくて失敗したからだ。
藤吉郎はそんなことは口の端にも出していない。
彼も内々は「もし働き手たちが賃金値上げを要求してきたら困るな。」と思っていたが、
「塀の修理はおまえたちの家族にも関わりがある。」ということで押し切ってしまったのである。
しかし、それだけでは労働者たちのモチベーションは上がらない。
そこで彼は「一番最初に工事を終えた組には、信長様が褒美を出す。」
というエサをちらつかせたのである。

 このエピソードは有名な事件だ。
一晩で塀の修理が終わったという。
そうさせたのも、藤吉郎が働き手たちに「何のためかという目的」と、
「自分たちがやったことがどういう意味を持つのか」、
そしてさらに「それに対してどういう評価がされるのか」
ということを明確に示したからである。

「組織の成員は、にぎりめしの米粒でなければならない。」
これは逆に言えば「組織の成員はお粥になるな」ということだ。
にぎりめしの米粒とお粥はどう違うのか。

藤吉郎に言わせれば、

   「お粥は組織の悪習に侵されて自分を失っている。
   何でも自分の意志がなく、人の言いなりだ。
   だから自分の大切なものは、汁に吸い取られてしまっている。
   また、集めようとしても集まらないから、しゃもじを使うしか仕方がない。
   そこへいくとにぎりめしの米粒は違う。
   にぎりめしという組織に属していても、握られた米粒が一粒一粒、
   自分は米粒だと主張している。
   つまり、自分にとって一番大事なアイデンティティをしっかりと持っている。
   組織の成員はすべてにぎりめしの米粒であるべきだ。
   しかし、米粒だからといってそれぞれが好き勝手なことをしていいと言うことではない。
   握られているということは、やはり組織に属し、組織のルールを守り、
   その秩序に従っているということだ。
   これが本当のチームであり、米粒たちの行うことがそのままチームワークにつながる。」

ということだった。